ひめゆり学徒のこと [平和]
今日の大阪は、朝から冷たい風が強く吹き付けていました。
かなりの冷え込みです。
ずっと気になっていた催し物へ行ってきました。
目的地は、大阪JR環状線の芦原橋駅近くにあるリバティ大阪です。
ここで11月16日から 大阪人権博物館、ひめゆり平和記念資料館、朝日新聞社が主催する
「ひめゆり 平和への祈り 沖縄戦から65年」展が開催されています。
(明日12/26が最終日です)
広島ピアノさんのblogでこのことを知り、ぜひ展示を見たいと思っていました。
基地のあり方が大きくクローズアップされた今年です。
どうもやはりこの問題を見過ごして、または見ぬフリをして1年を終わることに
心苦しさを感じていました。
以前、娘も高校の修学旅行で沖縄を訪れ、ひめゆり学徒の話を聞き、
ガマの見学をさせてもらい、当時の高校生たちの戦争体験を疑似体験する
機会を持ち、心を揺さぶられたと話していました。
今年ほど、平和のあり方、平和をどう維持するのかということが身近に問われた年は
これまでなかったのではないでしょうか。
会場では、ひめゆり学徒の戦争にいたるまでの生活や戦争が始まってからの
従軍奉仕のことなどを伝える資料が展示されていました。
そしてこの穏やかな沖縄の海を背景に65年前のアメリカ軍上陸の際に
死線をくぐり生き抜く事ができた女性たちが当時の悲惨な状況や
目の前で亡くなっていった友人や後輩、先生方の最後の姿について語る映像が
流れていました。ひめゆり学徒のみなさんは、女性の進学率が低かった当時でも
師範学校へ通っていたとても学習意欲の高い方々でした。
「追体験した」と言葉では言えますが、けして彼女たちの体験の何千分の1もの
印象しか受け取れていないのが事実だと思います。
それでも尚、軽々しく「少なくとも県外」と言った浮世離れした前総理大臣の
発言が腹立たしく思えてなりません。
そして、先の北朝鮮の砲撃を受けて韓国国内で国防への意識が高まる中、
淑明(スンミョン)女子大の卒業生たちが軍の士官候補生として志願し、
軍に入隊したことを報じていたこを思い出しました。
若く美しい命が、なぜ戦争という悲惨な状況へ駆り立てられなくてはならないのか。
ひめゆり学徒の話とオバーラップし、ニュースを聞きました。
沖縄の釈然としない状況を伝える古い映像がありました。
何年も今のような状況が放置し続けられていることがよくわかります。
1970年12月20日 コザ暴動
交通事故を起こした米兵を憲兵が連れ去ろうとしたのを
きっかけに沖縄の市民がアメリカ兵の車などを壊し抗議したとされる事件です。
それまでにも占領下にあった沖縄では死亡事故を起こしても軍法裁判で無罪と
なるなど納得のいかないことが繰り返されていたことで不満が爆発しました。
この"暴動"という言葉、立場を変えてみれば"抗議"ともいえるのではないかと
思います。統治している側から見れば、暴徒として暴力をふるう行為と考えられる
のでしょうが、抑圧される側から見れば「他に訴える手段がなかったから」という
究極の怒りの表現だったのでしょう。
基地の問題についてはこれと言って解決策を思いつくわけではありません。
ただ、一見平和に、日々の暮らしを送れるのは、このような犠牲があってのことと
覚えておきたいと思いました。
かなりの冷え込みです。
ずっと気になっていた催し物へ行ってきました。
目的地は、大阪JR環状線の芦原橋駅近くにあるリバティ大阪です。
ここで11月16日から 大阪人権博物館、ひめゆり平和記念資料館、朝日新聞社が主催する
「ひめゆり 平和への祈り 沖縄戦から65年」展が開催されています。
(明日12/26が最終日です)
広島ピアノさんのblogでこのことを知り、ぜひ展示を見たいと思っていました。
基地のあり方が大きくクローズアップされた今年です。
どうもやはりこの問題を見過ごして、または見ぬフリをして1年を終わることに
心苦しさを感じていました。
以前、娘も高校の修学旅行で沖縄を訪れ、ひめゆり学徒の話を聞き、
ガマの見学をさせてもらい、当時の高校生たちの戦争体験を疑似体験する
機会を持ち、心を揺さぶられたと話していました。
今年ほど、平和のあり方、平和をどう維持するのかということが身近に問われた年は
これまでなかったのではないでしょうか。
会場では、ひめゆり学徒の戦争にいたるまでの生活や戦争が始まってからの
従軍奉仕のことなどを伝える資料が展示されていました。
そしてこの穏やかな沖縄の海を背景に65年前のアメリカ軍上陸の際に
死線をくぐり生き抜く事ができた女性たちが当時の悲惨な状況や
目の前で亡くなっていった友人や後輩、先生方の最後の姿について語る映像が
流れていました。ひめゆり学徒のみなさんは、女性の進学率が低かった当時でも
師範学校へ通っていたとても学習意欲の高い方々でした。
「追体験した」と言葉では言えますが、けして彼女たちの体験の何千分の1もの
印象しか受け取れていないのが事実だと思います。
それでも尚、軽々しく「少なくとも県外」と言った浮世離れした前総理大臣の
発言が腹立たしく思えてなりません。
そして、先の北朝鮮の砲撃を受けて韓国国内で国防への意識が高まる中、
淑明(スンミョン)女子大の卒業生たちが軍の士官候補生として志願し、
軍に入隊したことを報じていたこを思い出しました。
若く美しい命が、なぜ戦争という悲惨な状況へ駆り立てられなくてはならないのか。
ひめゆり学徒の話とオバーラップし、ニュースを聞きました。
沖縄の釈然としない状況を伝える古い映像がありました。
何年も今のような状況が放置し続けられていることがよくわかります。
1970年12月20日 コザ暴動
交通事故を起こした米兵を憲兵が連れ去ろうとしたのを
きっかけに沖縄の市民がアメリカ兵の車などを壊し抗議したとされる事件です。
それまでにも占領下にあった沖縄では死亡事故を起こしても軍法裁判で無罪と
なるなど納得のいかないことが繰り返されていたことで不満が爆発しました。
この"暴動"という言葉、立場を変えてみれば"抗議"ともいえるのではないかと
思います。統治している側から見れば、暴徒として暴力をふるう行為と考えられる
のでしょうが、抑圧される側から見れば「他に訴える手段がなかったから」という
究極の怒りの表現だったのでしょう。
基地の問題についてはこれと言って解決策を思いつくわけではありません。
ただ、一見平和に、日々の暮らしを送れるのは、このような犠牲があってのことと
覚えておきたいと思いました。
歴史の負の部分には、忘れてはいけないことと、
水に流さなければいけないことがあるように思います。
どちらも、より良い未来へ進んでいくため。
日本の教育は、その両者の見極めという、難しく面倒な課題を、
いつのころからか放棄してしまっていますね。
だから、未来が見えにくくなっているようにも感じます。
by あさこ (2010-12-25 20:29)
私は、まだ沖縄に行ったことがなく沖縄戦は本や
映画でしか知りません。しかし、大変悲惨な地上戦で
あったようですね。
もしかすると日本全体が沖縄と同じようになったかも
しれません。それを考えると戦争は悲惨そのものです。
by toshi (2010-12-25 20:49)
★:゚*☆※>o(´ー´*)Merry*Christmas(*´ー´)o<※☆:゚*★
もう数時間しか無いけれど、ステキなクリスマスを♪
by KOEELE_tokky (2010-12-25 21:20)
あさこさん
そうですね。恨むことからは暴力の応酬しか生まれないと以前、被爆者の方がお話しされていました。でも全てを"忘れてしまう"ことは正しくありませんね。教育の場で、特に次の時代を担う世代に対して、過去の歴史を考える作業をさせなくてはならないと思います。でも洋の東西、民族の違いを超えても、その時の政治の流れで暴力に走ろうとする大きな力が働くことがあるのも事実です。
by orange (2010-12-25 22:15)
toshiさん
おっしゃる通りですね。上陸戦が行われたのは沖縄だけでしたが、当時の様子を考えれば北からソ連軍が北海道へ侵攻しても不思議ではありませんでした。もっと早く降伏していれば救われた命もあったに違いありません。
by orange (2010-12-25 22:20)
KOEELE_tokkyさん
北風が窓をたたいていますよ。寒いです。
週が変わるとさらに師走モード一色ですね。
by orange (2010-12-25 22:21)
沖縄の基地問題、難しい問題ですね、と言いつつ、少しよく考えてみようとすると、いろいろなことが一度に脳裏を横切り、整理がつかなくなってしまいます。そして、結局、目を背けてしまっているのかもしれません。反省。
by carotte (2010-12-26 00:09)
こんばんは。
戦後に関しては、勝ったものが正義という無情な論理が
まかり通っていましたから、こういった惨状も米軍からすると、
なんてことないのでしょうね。だからこそ、沖縄でのアメリカ兵
の非道徳的なことすら素通りだったのでしょう。
こういった催し物を通じて、本当の状況をしっかりと伝えること
も、日本人の大切な役割ですね!
しかしながら、日本人の長(政府)がコレでは・・・
by perseus (2010-12-26 01:39)
おはようございます。
沖縄へ行った時観光地として訪れ、その時は悲惨・可哀そうと思い・・帰ると何も考えてません・・反省。
by YUTAじい (2010-12-26 05:41)
carotteさん
おはようございます。そうなんです。「ちょっと考えみようとすると…」真剣に考えると"整理がつかなくなる”それが普通だと思います。それを簡単に「少なくとも県外」などと気持ちだけ盛り上げてあとは、当のご本人は消えていなくなった…全くけしからんことですね。そしてもっと不愉快なのは今次々と公開されている外務文書の内容です…。
by orange (2010-12-26 09:30)
perseusさん
おはようございます。アメリカ側にとってな"なんてことない”のですね。先日、オバマ大統領の妹さんが沖縄を訪れたようです。誠意を持って行動をしてほしいですね。軍縮、非核化といいつつ片手はポケットの中で銃の引き金を握っているようでは本当の平和など考えられないでしょう。
でも政府の対応は悪すぎますね。外交などという分野は市民が直接関われない政治分野ですから。ロシアの動きも気になりますし、日本海を挟んで向こう側の国々も…
by orange (2010-12-26 09:35)
YUTAじい さん
おはようございます。沖縄はとても綺麗な島ですね。私も行けるものなら度々行きたいと思います。その歴史には色々な苦難があるようです。時々機会を捉えて思い出してみたいと思って、今回はひめゆり学徒のお話をご紹介しました。少し立ち止まって考えるきっかけになれば幸いです。私も日々このことばかり考えているわけではありませんから、同じです。
by orange (2010-12-26 09:38)
敗戦国の悲惨です。
8月15日の降伏後もソ連と交戦状態にあり、なんとか北海道が守れた事実があります。
満州は、もっと悲惨です。
ドイツ同様、戦後の日本の暗い歴史の多くは封印されたままです。
日本が悪かった~等の情報はむしろ過剰に出てきますが…
敗戦国の悲劇です
by Conny (2010-12-26 10:46)
Connyさん
コメントありがとうございます。
前線拡大をしていたために最も悲惨な戦いを強いられていた兵隊には、終戦が伝わっていなかった所も多々あるようですね。戦争が終わっているのに命を落とされた方もいらっしゃると聞きます。
そう言えば遺骨収拾でもスキャンダルがありましたね。嘆かわしいことです。一度開戦してしまうと人は命の重みを失ってしまうようです。なので非戦が良いと考えるのですが。そのためには外交手腕が必要なのでしょう…
by orange (2010-12-26 12:38)