時が過ぎても変わらぬ風景 [ドイツ]
10月4日はドイツ再統一を祝う祝日でした。
この日をドイツ連邦共和国は、「Tag der deutschen Einheit」
「ドイツ統一の日」として、国の祝日にしています。
ドイツ再統一の切欠となったのは、1989年11月9日。
東西に分断されたベルリンで、東側の検問所の扉が開放されました。
その後、一年かけて(わずか1年で!)東西ドイツを
政治的に統一する作業が進められました。”吸収合併”的な感じで。
その記念の式典を行ったのが、1990年の10月4日ということです。
悲願だった東西ドイツの統一を成し遂げても、当時の新聞記事には、
「実際の壁は取り除かれたが、頭の中の壁はまだこれから取り壊さなくてはならない」と
書かれていたことを思い出します。
そして26年過ぎて、その”壁”は本当になくなったのでしょうか。
ドイツの北東地域に
Schwerin ([ʃvɛˈʁiːn, ʃvəˈʁiːn] シュヴェリーン)という町があります。
4〜5年前だったか、ドイツの北部を旅行した折に訪れたSchwerinの町。
このお城と湖の風景が見たくて訪れました。
以前もお見せした画像ですが、一面の菜の花。
Schwerinの町の周囲にはこんな風景が広がっています。
土壌改良のため、植えられた一面の菜の花。
地平線に広がる菜の花畑。旅行者には綺麗な風景ですが。
Schwerinは、Mecklenburg-Vorpommern(メクレンブルク・フォアポンメルン)という
州の州都です。州都。その州の州政府があり、地域の産業や文化の中心地です。
ドイツでは日本のような人口が密集した”都会”のイメージを感じる街はそれほどありません。
それでもその州の州都となれば、例えばミュンヘンは1,450,381人程度の人が住んでいます。
ところが、このメクレンブルク・フォアポンメルンは、州全体の人口が1,612,360人。
州都のシュヴェリーンの町の人口は96.800です。
日本なら小さな地方都市でもこのくらいの人口は住んでいますね。
そしてそれなりの会社や工場があって...
”州都”の中心部。
ホテルの窓から撮りましたが、モダンなビルなどどこにも見えません。
東ドイツでの生活を知る、夫と私にとって、
この町は、”東独時代”を思い出させるものでした。
無表情なホテルの受付係り、物が少ないお店のショーウィンドウ。
古びた建物。
30年前にタイムスリップしたような衝撃を受けたのを思い出します。
見所は、ここだけ。そして町の周囲に7つあるという湖。
夏場の避暑地としてドイツ国内からの観光客は、それなりにあるようですが、
それ以外の産業はありません。
都市化されることが良いとは、思っていません。
保養地として自然と共生できる地域。それはドイツの人にとっても理想の
住環境であるはず。
時の流れに置いて行かれたような地域から、この秋、
メルケル政権に対して反旗が上がりました。
以前のSchwerinについての記事はこちらから↓
http://orangerosen.blog.so-net.ne.jp/2014-08-28
http://orangerosen.blog.so-net.ne.jp/2014-08-26-1
*次回は、ちょこっと京都の記事を挟みます。
晩秋京都のオフ会のラフ案なども...
この日をドイツ連邦共和国は、「Tag der deutschen Einheit」
「ドイツ統一の日」として、国の祝日にしています。
ドイツ再統一の切欠となったのは、1989年11月9日。
東西に分断されたベルリンで、東側の検問所の扉が開放されました。
その後、一年かけて(わずか1年で!)東西ドイツを
政治的に統一する作業が進められました。”吸収合併”的な感じで。
その記念の式典を行ったのが、1990年の10月4日ということです。
悲願だった東西ドイツの統一を成し遂げても、当時の新聞記事には、
「実際の壁は取り除かれたが、頭の中の壁はまだこれから取り壊さなくてはならない」と
書かれていたことを思い出します。
そして26年過ぎて、その”壁”は本当になくなったのでしょうか。
〜*〜
ドイツの北東地域に
Schwerin ([ʃvɛˈʁiːn, ʃvəˈʁiːn] シュヴェリーン)という町があります。
4〜5年前だったか、ドイツの北部を旅行した折に訪れたSchwerinの町。
このお城と湖の風景が見たくて訪れました。
以前もお見せした画像ですが、一面の菜の花。
Schwerinの町の周囲にはこんな風景が広がっています。
土壌改良のため、植えられた一面の菜の花。
地平線に広がる菜の花畑。旅行者には綺麗な風景ですが。
Schwerinは、Mecklenburg-Vorpommern(メクレンブルク・フォアポンメルン)という
州の州都です。州都。その州の州政府があり、地域の産業や文化の中心地です。
ドイツでは日本のような人口が密集した”都会”のイメージを感じる街はそれほどありません。
それでもその州の州都となれば、例えばミュンヘンは1,450,381人程度の人が住んでいます。
ところが、このメクレンブルク・フォアポンメルンは、州全体の人口が1,612,360人。
州都のシュヴェリーンの町の人口は96.800です。
日本なら小さな地方都市でもこのくらいの人口は住んでいますね。
そしてそれなりの会社や工場があって...
”州都”の中心部。
ホテルの窓から撮りましたが、モダンなビルなどどこにも見えません。
東ドイツでの生活を知る、夫と私にとって、
この町は、”東独時代”を思い出させるものでした。
無表情なホテルの受付係り、物が少ないお店のショーウィンドウ。
古びた建物。
30年前にタイムスリップしたような衝撃を受けたのを思い出します。
見所は、ここだけ。そして町の周囲に7つあるという湖。
夏場の避暑地としてドイツ国内からの観光客は、それなりにあるようですが、
それ以外の産業はありません。
都市化されることが良いとは、思っていません。
保養地として自然と共生できる地域。それはドイツの人にとっても理想の
住環境であるはず。
時の流れに置いて行かれたような地域から、この秋、
メルケル政権に対して反旗が上がりました。
以前のSchwerinについての記事はこちらから↓
http://orangerosen.blog.so-net.ne.jp/2014-08-28
http://orangerosen.blog.so-net.ne.jp/2014-08-26-1
*次回は、ちょこっと京都の記事を挟みます。
晩秋京都のオフ会のラフ案なども...