SSブログ

やはり今日はBerlinで

壁.jpg
壁:高さは3.60m.
長さは45kmほど。(文献によって数値が様々)
どうも一般的に日本では、崩壊当初の映像がカップ麺のCMに使われたこともあって、
あまり深刻なイメージを持てない人も多いようだが、政治的な理由のみによって街が
突然分断され、家族が、兄弟姉妹が別れ別れになり、以後28年間も異なる政治体制の
別々の暮らすこととなった人々の悲しみ、怒りは深く察しがたいものがある。

私が初めてBerlinを訪れたのは1980年代。
Münchenに住んでいた頃、夜行列車でBerlin入りした。
朝6時頃だったか、ふと目が覚め車窓から外を見ると自動小銃を肩から下げた
東ドイツの兵士が車両の周りに立ち、パスポート検査のために車両へ乗り込もうとしている
ところだった。警察官の持つピストルよりも大きな「武器」を見たことのなかった私は、
恐怖を感じた。
「『国境』なんだ。」とベルリンの特殊な状況を強く意識させられた。

以前のページでも書いたが、その頃は西から入る列車はZoo駅が終点だった。
薄暗いZoo駅に降り、でも西ドイツと変わらぬ服装の人々が行き交い、
西ドイツと同じ大きな広告塔や看板を見て安堵した記憶がある。
以後、私は壁の「内側」と「外側」に住むことになるが、
それからも「国境越え」はいい気持ちのものではなかった。
Pos.jpg
今では、観光地と化してしまったベルリンの壁だが、
壁の中の生活を知っている者として壁の前でにこやかに記念撮影する気にはなれない。
たぶん広島の原爆ドームや長崎の慰霊碑の前でにこやかな笑顔で記念撮影することが
できないのと同じように。
ベルリンだけに壁があったかの錯覚を抱く方がけっこういるようだが、
東西ドイツは、1378kmもの長い国境線で分断され、つまり西ベルリンから車や列車で西ドイツ領内へ行くためには2回国境を超えなければならなかったわけだ。
第2次大戦終結時のドイツが半分に分断され、その東半分の中に西ベルリンという「島」
文字通り「陸の孤島」があったと思っていただければご理解いただけるか。
壁の穴.jpg
ベルリンの壁の崩壊から20年。取り壊される壁、保存される壁。
今年9月に再訪したベルリンの街はまた新しい顔を作り始めていた。
世代が変わればあの時代の記憶も風化して行くのかもしれない。
Gesehen!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

Gesehen! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。