SSブログ
東京カメラ散歩 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

神田 すずらん通り [東京カメラ散歩]

神田 すずらん通り
前日に娘と一緒に見た映画の風景を再体験したくて
予定を変更して お茶の水から水道橋あたりでカメラ散歩をすることにしました。

見た映画は『舟を編む』
三浦しをん の同名の小説を映画化したのもので
ある出版者の辞書編集事業部が、新しい国語辞典を出版するまでの話。

映画についての批評は色々あるのでしょうけど、
娘はこの分野に興味もあり、辞書編纂の作業が垣間見えて満足していたようです。
orangeは色々と突っ込みどころを感じつつも、神田あたりの風景が見られたので
ある程度満足でした。

…ということで、奥多摩の温泉探しをする予定を変更して
街ブラをすることにしました。

今回はその中から、まずこちらを

文房堂3.jpg

JRのお茶の水駅から歩いて10分くらいの所。
靖国通り側からずずらん通りへ入ってすぐの場所に建っています。




1922年に建てられた 「文房堂」の建物。
完成直後の1923年には関東大震災に遭い、内側が倒壊してしったそうですが、
外壁は鉄筋コンクリートだったために難を免れたそうです。

文房堂1.jpg

その後、東京大空襲でも焼失することなく
当時の様子を伝えるファサードは、以後若干の補修作業を経て
「千代田区景観まちづくり重要物件」に指定されているそうです。

文房堂のホームページを見ると、梅原龍三郎や林武などの著名な日本の画家達が、
個展を開いたり、画材を購入していたようです。

文房堂2.jpg


”ロケ地”巡り。行き当たりバッタリで始めましたが、
それなりに興味深い風景に出合います。

少しおつきあいください。

Gesehen!(44)  コメント(26) 

Käfer カブトムシ [東京カメラ散歩]

映画館へ行くまでの隙間時間。
町の雰囲気を楽しみながら娘とカメラを片手に歩いていると…


Kaefer1.jpg

Beetle(ビートル)
ちょっと古びたカブトムシ君を発見。


まだ走るのかなぁ…
重いジーゼル独特なエンジンの音が聞こえてきそうです。

PS:バタバタという重たい音はてっきりジーゼルエンジンの音。と思っていましたが、
駅員3 さんのコメントで、Wikipe.で調べると ><; おっしゃる通り、
”軽量さと簡易性を配慮して設計された4ストローク・強制空冷水平対向4気筒OHV”と
書かれていました。
さすが。お詳しい^^? ということで訂正させて頂きました。

Kaefer2.jpg



今では見ることが少なくなりました。
Volkswagen 国民の車。 フォルクスヴァーゲン

Käferはドイツ語でカブトムシ。
ドイツ語圏での愛称はKäfer(ケーファー)です


狂気に世界中を震撼させた男が、
「2つだけよいこと」をしたと言われること。
「国民の車量産計画」とAutobahn(アオトーバーン/アウトバーン)を国中に張り巡らす計画。



〜*〜*〜*〜*〜*〜



今日は、同僚が体調不良でダウン。
代わりに出勤することに…

腰痛だそうです。
座り仕事が多い方。腹部や背中のインナーマッスルを鍛えましょう!
(と、他人に言えるか…いえいえ日々トレーニングしています^^から)
若いからと侮っていると、腰痛は突然やって来ます。
気をつけましょう!

Gesehen!(36)  コメント(22) 

星空のように [東京カメラ散歩]

一度行ってみたいと思っていた場所。
丁度、マジックアワーにぎりぎりかな…

ヒルズ夜景6.jpg

ライトアップされた東京タワー。
けっこう近く見えますね。


ヒルズ夜景5.jpg

新宿方面へ移動。
う〜ん。雲が厚いので富士山は…


ヒルズ夜景3.jpg


薄らと雲の中に台形の頂上が…
気のせいかなぁ…


ヒルズ夜景2.jpg


テールライトを流してみたかったのですが、
シャッタースピードが少し早かった><;
手持ちですから…


ヒルズ夜景4.jpg


次第に闇が迫ってきました。
瞬く星のように。
この日は風も穏やかでした。


ヒルズ夜景1.jpg



みなさん、思い思いに^^
もう少し撮りたかったのですが、
息子から夕食の待ち合わせ場所の連絡が。

またいつか…
Gesehen!(40)  コメント(30) 

ピンホール写真風に [東京カメラ散歩]

この頃あまり使っていなかったアートフィルターで
街角の風景を撮ってみました。


Loewenzahn.jpg

なんだか記憶のどこかに隠れているような…
子どもの頃の思い出が…
ふと甦ってくるような気がします。


Friseursalon.jpg

街角で見つけた床屋の看板。
赤い色が動脈で、青い色は静脈。
ほんとうかなぁ。父親が昔そんな事を言っていましたけど。


Blumengeschaeft.jpg


いつも気になる花屋さん。
お洒落な町の町角に。
休日の散歩で小さな鉢植えを。


Kartenladen.jpg


メッセージカード。
誰に送ろうかな…送る宛てがなくても選びたくなる可愛い図柄。
ちょっと入ってみたくなるお店です。



Gesehen!(38)  コメント(19) 

小石川後楽園のカキツバタ [東京カメラ散歩]

都会の中の自然。
高層ビルや古くからのオフィスビルに囲まれて
緑の島のような存在の小石川 後楽園。


先日、東京カメラ散歩の折りに立ち寄った
”後楽園”の園内にあったカキツバタの池です。

後楽園2.jpg

こちらも4分咲きくらいでしょうか。

後楽園1.jpg

こちらの池には花菖蒲も植えられているようですが、
それはまだ、まだのようでした。


都会の中の自然。
大きな木々の間を歩いているとこんなものを見つけました。

後楽園4.jpg


トカゲ君.何を狙っているのでしょうね。


後楽園5.jpg


新緑が気持ちよい空間でした。
場所が変わってもレンズを向ける先はなぜか同じだなぁ〜と思いながら。

それでも気になる

後楽園3.jpg

新緑に赤い色のアクセントが可愛らしいですね。
ユラユラと風に揺れて…



〜*〜*〜*〜*〜*〜



”休みボケ”になることもなく昨日から平常運転。

明日は夫様のご帰還です。…洗濯物が帰ってくる[たらーっ(汗)]
お留守の間、少し羽を伸ばしましたからねぇ^^#




Gesehen!(28)  コメント(10) 

ガード下 鉄骨クロスステッチ [東京カメラ散歩]

もう少しカメラ散歩におつきあいください。

今も昔も通勤で朝に夕に通る人の数は多いのでしょうね。

有楽町2.jpg

もちろんこの鉄骨の橋脚の上を山手線や京浜東北線などが何本も往来しています。
ご存知の方も多いガード下の風景。
流石にこの鉄骨は何度か交換されているのでしょうけど…
ちょっと薄暗いこの風景を見ると
子どもの頃には(昭和30年代前半)、傷痍軍人(風)の方が
路上に座り込んでアコーディオンを弾いていた記憶が思い出されます。

有楽町4.jpg

今は華やかな街へ行くための最寄り駅ですが、
半世紀…[がく~(落胆した顔)][たらーっ(汗)]前までは、
そんな暗い表情も持っていた場所だったのです。

有楽町1.jpg

ちょっと目に止まったマンホールの蓋。
桜の花と銀杏の葉がデザインされています。
たくさんの人が往来するので摩耗して模様の角が取れていますね。

有楽町3.jpg

よぉく見るとクロスステッチのような模様になっています。
東京の輸送の大動脈を支える足元にしてはちょっと可愛らしい模様ですね。

有楽町5.jpg

(ちょっとピントが甘いのですが…)

有楽町駅の”ガード下”と呼ばれる構造物の壁面。
これはちょっと古そうです。
何かのレリーフがあったのでしょうね。



Gesehen!(25)  コメント(6) 

マジックアワー少し前 隅田川へ [東京カメラ散歩]

明石小学校の建物を眺め、
聖路加病院の十字架のある塔の位置を確認したあと、
歩いて隅田川へ向かいました。

母が戦後住んでいた場所は、
八重洲口から川の方へ向かって歩いて10分くらいの所。

思い出話の中によく登場した地名。
佃島、月島、霊岸島、そして八丁堀。
私はこの辺りの記憶は全く無く、
ただ、母も父もこの辺りと縁が深かったという記憶だけ。

隅田川1.jpg

こんな風景を母はたぶん理解できないのかもしれません。
病院通いをしていた頃、待ち時間に、
何人かの方がブログにupされていたこの辺りの写真を見せましたが、
「う〜ん。分からないねぇ。佃島は知っているけど。」と
大きなビルが立ち並ぶ風景に馴染めないようでした。

隅田川2.jpg

きっとここへ連れて来て川べりを歩いても、
ただ「なんだか分からないよ…」と繰り返すだけだったのかもしれません。

そんなことを思いながら綺麗に整備された遊歩道を歩いていると
母が子どもの頃に橋の開閉を見に行ったという勝鬨(かちどき)橋が見え始めました。

勝鬨橋2.jpg

今ではたくさんの車が往来し、橋を跳ね上げるなど無理ですね。
それにしてもこんなに流れの速い、水量の多い隅田川に石で橋脚を組んで、
戦災も乗り越えて今でもこうして見られるとは驚きです。


勝鬨橋4.jpg

夕暮れが近づき始めた橋を眺めながら、
やっぱりもう一度見せてあげたかったなぁ…と思いました。


勝鬨橋3.jpg


最後に "鉄骨萌え〜”の一枚です。
綺麗なアーチですね。色も好きな色です。
Gesehen!(30)  コメント(21) 

Es war einmal...明石小学校 [東京カメラ散歩]

日比谷公園を後にして、向かった先は明石小学校。

古い小学校の建物を保存するのか、耐震性を考えて建て替えるかで
論議されたので、全国的にも知られるようになった小学校ですが、
昭和4年(1929年)生まれだった母は、まさに太平洋戦争が激化する中、
この小学校へ通っていたそうです。

明石小学校2.jpg

古いアルバムを見ていて見つけた母の写真。
裏を見ると母の旧姓の横に昭和17年(1942年)14歳と書かれていました。
国民学校は6年間。その後の高等科に通っていた頃でしょうか。
Foto1.jpg


そしてウィキペディアで見つけた明石小学校の昔の様子を写した写真。
Tokyo_Municipal_Akashi_National_Elementary_School.JPG

東京大空襲の話、空襲が酷くなって親戚が居る浜松へ疎開した話。
そんな話をする時に必ず登場したのが、隣にある聖路加病院についてのエピソードでした。

朝礼で、校長先生から山本五十六元帥が戦死された話を聞いている時、
隣の聖路加病院の十字架の中に火の玉のようなものがスゥッと入って行った。
山本五十六は1943年4月に戦死

母は、かなり強烈な印象を持ってその光景を(恐らく)見たのだと思います。
その光が何だったのか…知るすべもないのですが、orangeはその話が
妙に気になって、いつかその位置関係を確かめてみたいと思っていました。

聖路加病院.jpg


確かに明石小学校の小さな校庭の南側には聖路加病院があります。
若干、位置の変化があったのかもしれませんが、
恐らくこんな風景を見ていたのでしょうか。

明石小学校.jpg


重苦しい時代だったのだと思います。

Gesehen!(41)  コメント(18) 

母に所縁の場所を巡る [東京カメラ散歩]

小春日和の日比谷公園を後にして、
少し移動することにしました。

母が戦争直後に働いていた場所、
疎開するまで通っていた小学校。

日没までに見られるかな。

Verspiegelung.jpg


〜*〜*〜*〜*〜*〜

今日は夕方に北浜界隈でも小雪が舞いました。
今もまだ気温は低いまま。
週末も寒そうです。

みなさま、温かくしてお過ごしください^^

週末、少々多忙につきコメント欄は閉じさせていただきますm(_ _)m
なんだかソネブロ…また動きがおかしくないですか?
Gesehen!(28) 

小春日和の公園 [東京カメラ散歩]

そして次に向かった先は、
幼い頃に母と時折り立ち寄った記憶のある公園。

小春日和 親子連れ.jpg


なんとなく記憶にある丸い噴水。
そしてペリカンが向かい合った形の噴水。
母が昔勤めていた職場の近くだったようです。

ベンチ.jpg


こんなベンチでお昼休みを過ごしたのかもしれません。
この日も穏やかな陽射しを楽しむ人の姿がありました。


Weg.jpg

時間を忘れて、公園の中を少し散策しました。
野鳥がやって来るようで、大きな望遠レンズを担いだ人も何組か。


Gesehen!(31)  コメント(7) 
前の10件 | 次の10件 東京カメラ散歩 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。