17年という時間 [日常から]
まだ目覚ましが鳴る前の寒い冬の朝。
地鳴りとこれまでに感じたことのない揺れで目が覚めました。
あの頃は、和歌山の家にいました。
軽量鉄骨の2階建て。耐震性はあると聞いていた建物です。
子ども達を起こさなくてはと思って、直ぐにベットから飛び出して
2階の廊下を歩こうとしているのに、家が揺れて思うように歩けませんでした。
裸足の足の裏に冷たい床の感触が甦ります。
あれから16年が過ぎ、
そして昨年の3月11日。
長い地球の歴史の中で考えればそれほど長い年月ではないのでしょうね。
活動期に入ってしまった地球の地殻変動。
16年前に”人ごと”としてではなく、身近な様々な危険が検証されていたら…
失われる命も少なかったのかもしれません。
関西のこのところの静けさも気になります。
そして頻繁に起っている”千葉県東方沖”という震源の地震。
地震予知はまだまだできるものではないのでしょうけど、それぞれが”もしも”を
想定して理性的に準備をしておくべきなのでしょうね。
地鳴りとこれまでに感じたことのない揺れで目が覚めました。
あの頃は、和歌山の家にいました。
軽量鉄骨の2階建て。耐震性はあると聞いていた建物です。
子ども達を起こさなくてはと思って、直ぐにベットから飛び出して
2階の廊下を歩こうとしているのに、家が揺れて思うように歩けませんでした。
裸足の足の裏に冷たい床の感触が甦ります。
あれから16年が過ぎ、
そして昨年の3月11日。
長い地球の歴史の中で考えればそれほど長い年月ではないのでしょうね。
活動期に入ってしまった地球の地殻変動。
16年前に”人ごと”としてではなく、身近な様々な危険が検証されていたら…
失われる命も少なかったのかもしれません。
関西のこのところの静けさも気になります。
そして頻繁に起っている”千葉県東方沖”という震源の地震。
地震予知はまだまだできるものではないのでしょうけど、それぞれが”もしも”を
想定して理性的に準備をしておくべきなのでしょうね。
今日も関東ではお昼に揺れましたね・・
阪神大震災は神戸で被災しました。
ショックなことが一杯でした。
隣のマンションの1階が無くなっていたり
火事の早朝にパジャマ姿で放浪しましたよ。
あの時に温かな心をいただいた神戸から
東北へ繋がる何かを展開したいと思います。
by zak (2012-01-17 23:32)
ワタシのアパートは大丈夫でしたが、お隣は1階が無くなり、裏手のお宅は土台ごと土砂崩れのように流れてしまわれ、何故かベランダがちょこんと上にのっていたのをぼんやり覚えています。
翌日には京都に避難してしまったけど、電車がニシキタからしか動いてなかったので、数駅歩きました。その間は・・・駅ごとに被災の程度が酷くなったりマシになったり。ニシキタの辺は悲惨な状況でした。
直後は生きているだけで幸せで、でもしばらくすると欲がよみがえり、不満も出てきて、人間って・・・(^^;)
by Ronnie (2012-01-18 00:46)
Zakさん
こんばんは。このところ断続的に身体に感じる地震がありますね。
zakさんは、関西ご出身ですから。震源近くにいらっしゃったんですね。あの高速道路が横倒しになった光景。忘れられません。
日本列島のなりたちを思うと避けて通れない現実ですね。歴史を踏まえて災害に備える。そして助け合う。言うは易しですが、できることから…ですね。
by orange (2012-01-18 01:12)
Ronnieさん
しばらくたっても神戸沿線はブルーシートで覆われていましたね。今でも区画に空白があったり。関西南部でもかなりの揺れでした。電車の高架にヒビが入ったり。梅田駅には”リュック姿の人”がたくさんいました。ボーイスカウトで炊き出しに行ったり。ボランティア元年なんて言われました。人の欲望。それが活力にもなるのですから。
by orange (2012-01-18 01:19)
阪神大震災から17年経つんですね。
去年の東日本大震災も、もうすぐ1年です。
地震の準備をしなくてはと思いますが
何もしていません。
by toshi (2012-01-18 06:11)
昨日、隅田川の遊歩道を歩いていて思ったことは、
今ここに津波が襲ってくるとの警報が入ると、どう避難すればよいかと
考えながら歩いていました
4mを越えるコンクリートの堤防の内側、そして堤防の上に逃れるには
どちらかの橋まで移動しないと階段がありません
でも、そこはのどかな隅田川でした
1月17日の神戸、姉は被災しましたが傾いた住宅の中で無事でした
by koh925 (2012-01-18 09:26)
おはようございます。
当時は高3で、センター試験終了後の2日目に大地震でした。
明け方まで炬燵で勉強して、ちょっと仮眠をしようかとウトウト
したかな?といったところに・・・
あれから17年。当時の見るに耐えきれない焼け野原の中、
電車で通塾した記憶もまだ鮮明に残っております。
傾いた高速道路、曲がった線路・・・やはり自然の脅威には
人間の英知なんてちっぽけなものなんですね。
by perseus (2012-01-18 11:30)
早いものですね
確か東京でも揺れを感じて、ニュースをつけると、新幹線が止まった…が最初に流れた被害状況でした
by 駅員3 (2012-01-18 14:41)
17年も経つんですね・・。
当時、夫の実家からの電話で知りました。
テレビを見て 本当に驚きました。
今を生きている私たち・・考えさせられます。
by やよりん (2012-01-18 18:01)
東海地震も起こると言われ続けてますよね、備えが必要とは思うけれど、準備は万全か?と言われれば足りてないよなぁ・・・・な我が家です。
う~む、備えあれば憂いなし。ですね。
by あら (2012-01-18 21:06)
toshiさん
月日の過ぎるのは…と思います。ご家族やお家に被害が出た方はこの年月がとても長く感じられるのかもしれません。
いつあっても…そんな気がします。何を準備してもその時はその時。そんな気もしますが。避難場所などは確認しておいた方がよいかなぁと思います。
by orange (2012-01-18 23:26)
koh925さん
隅田川の河口は東京湾ですから、閉鎖性の高い海洋で津波が起きると川を逆流しますからね。ここ大阪とて淀川や大川、大和川の堆積層にできた街ですから液状化…街全体が??とも思ってしまいます。何をどう…ということはないのですが、やはり安全を確保すべきインフラは確認をしておいて欲しいと思います。
by orange (2012-01-18 23:31)
perseusさん
まさに間近に...だったのですね。あの瞬間に思ったことは”関東で何か?”でした。まさか関西であれほどの規模のものが起きるとは思いませんでした。余震が収まってからというもの関西ではあまり大きな地震がありませんね。他の地域でこれだけ歪みが出ているのに…です。気になります。
by orange (2012-01-18 23:33)
駅員3 さん
それぞれに記憶がありますね。先日の3.11の時には息子は歩いて恵比寿から中野まで帰ったとのこと(まだ学生でしたが)。この距離ならまだしも…ですが、遠距離通勤者の多い首都圏。災害が発生するとたいへんでしょうね。
by orange (2012-01-18 23:36)
やよりんさん
ご実家は関西でしたね。時間帯としてはまだ家族が一緒に居る時間だったので安心ではありましたが。後、学校が休校になり、余震が続き…東北の震災も他人事ではありません。でも日々の仕事に追われると忘れがちになります。
by orange (2012-01-18 23:39)
あらさん
何がどう被害を受けるのかは分かりませんが、個人としてできることは少しの飲料水の備蓄とお米やお餅くらいでしょうか。そして家族と別々に被災した時の待ち合わせ場所。災害伝言ダイアルの使い方、試してみようかな…
by orange (2012-01-18 23:42)