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ピースおおさか [平和]

朝からウォーキングを兼ねてJR森ノ宮駅近くにあるピースおおさかへ行きました。



大阪府と大阪市の出資により1989年に
財団法人 大阪国際平和センターが設立されました。
「ピースおおさか」は、1991年から展示や図書の閲覧、
講演会などの場として使われている施設の愛称です。
ピースおおさか1.jpg

大阪大空襲に関する資料や映像、当時の人々の暮らしを
伝える生活用具などを展示しています。
また原爆や日本軍がアジア諸国で行った戦争の惨状、
そしてアウシュビッツ強制収容所に関する資料なども展示しています。

ピースおおさか.jpg
終戦の日も間近とあって、グループで見学に来ている人、
親子連れ、そして中国語を話している年配の親子など
来場者も途切れず来ていました。

私が、この施設の存在を知ったのは1994年でした。
Karl Stojka(カール•ストイカ)さんという(当時オーストリア/ウィーン在住)
ホロコーストの生還者として体験を描き、世界に平和を訴える活動をしている人の
展覧会開催の手伝いをしました。

大きなキャンバスに描かれた絵は、ナチス軍に捕えられ貨車に乗せられる人々、
貨車から降ろされ整列させられている人々、そしてユダヤの星を胸に付けられ
頬も痩けて呆然と立ち尽くす人…でした。
一つひとつに胸に迫るものを感じました。

公開日に先立ち、展示品を確認しながらストイカさんは、
気持ちを高ぶらせながら説明をしていきました。
私は必死で彼の言葉を追いました。
そして一つの絵の前に来たとき、

左腕をまくり上げ
Z5742と書かれた入れ墨を人々の前に突き出しました。

その光景を私は今でも忘れることができません。
目眩がしました。続けて話すことができなくなりました。

彼が立ち止まった絵には「Mein Kampf Z5742」と
描かれていました。(ヒトラーの「我が闘争」=Mein Kampfと掛けたものです)
アウシュビッツ強制収容所から生還した彼の人生は、
まさに闘争だったのです。
強制収容所へ入れられると名前ではなくこの番号で呼ばれると、
なんどもZ5742と入れ墨された腕を示しました。
入れ墨をされ、私物は一切没収され、多くの映像でみなさんもたぶん
ご存知の木の板だけで作った棚のようなベットに押し込められます。

ストイカさんは、いわゆるジプシーで、大家族で暮らしていました。
(現在は"ジプシー"という単語は差別用語にあたるので、現在では
彼らの民族を示すロマを用います)
親、兄弟もナチスドイツ軍の「人種浄化政策」によって捕えられ、
父はダッハウ強制収容所へ、彼は弟と共にアウシュビッツ強制収容所へと送られます。
家族は、彼以外、病気で、飢えで収容所内で亡くなったとのことでした。

仕事を通して多くの人に出合い、様々な経験をしていますが、
この時の記憶は今も色あせることがありません。
私にとって相性のよいドイツ語ですが、この重たい過去に
目を伏せて仕事を続けることはできないと実感した瞬間でした。

以下にご紹介するのは3分ほどの映像です。
アウシュビッツ強制収容所についてのドキュメンタリー映像です。


森ノ宮のピースおおさかには、
アウシュビッツ強制収容所の扉を展示しています。
ピースおおさか2.jpg

以前は、貸与として収容所で使われていた洗面器、子どもの靴などがありました。
補助金が減り、「図書の管理もままならぬ」と職員の方が言っていました。

関心のある方は、下記のホームページをご覧ください。
ピースおおさか
JR環状線 森ノ宮駅から徒歩5分
大阪市営地下鉄 中央線、長堀鶴見緑地線 谷町4丁目駅から 徒歩5分
大阪城公園内(南東側)にある施設です。
http://www.peace-osaka.or.jp/=
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コメント 13

トックリヤシ

明日は終戦記念日ですね^^;

by トックリヤシ (2010-08-14 17:58) 

YUTAじい

こんんちは。

戦争・・ドイツと日本色々考えさせられます。
by YUTAじい (2010-08-14 18:21) 

perseus

こんばんは。
ストイカさんのこれまでの経験は、戦争を知らない
者が軽々しくどうこう言うには、あまりにも重すぎる
内容であり、軽々しい発言は失礼にあたりそうな
感じを受けます。
明日は終戦記念日。少なくとも現在の平和な日本
には感謝したいです。
by perseus (2010-08-14 23:55) 

未来

涙が止まりません。
何故、人間は子供たちに平和を教え、愛を語っているのに、
どうして、この世から戦争が無くならないのでしょう。
人間は、ただ祈るしかないのでしょうか・・・。

by 未来 (2010-08-15 05:30) 

toshi

今日は終戦記念日ですね。
こういうものを見るといろいろ考えさせられます。
by toshi (2010-08-15 06:59) 

伽耶

おはようございます
職場の近くにこういう施設があるのは
全く知らなかったです。
大阪の空襲は酷かった…と
高齢者から聞いたことがあります
by 伽耶 (2010-08-15 07:30) 

orange

トックリヤシさん
コメントありがとうございます。
どんな1日をお過ごしになりますか?
明日の命を心配しなくていいということ、こんな極限状態を
見ると、つくづく幸せだと思います。

YUTAじい さん
二つの国にはどことなく共通点もありますね。
それだけに戦後処理の仕方の差が際立ちます。

perseusさん
今回のテーマは少し重たかったかな、と思っています。
でも終戦の日が近づき、TVなどで歴史映像が放映される
ことが多くなり、急にストイカさんのことを知らせたいと
思いました。過去のことですが、現実です。

toshiさん
戦後世代ですが、まだ私の世代は戦争体験者の話を伺う機会が
多くあります。語り継がれなくなったときの事が怖いですね。

伽耶さん
母は東京大空襲で家を焼かれました。家族は幸い無事でしたが。
父は、その空襲の際に母親を亡くしました。兵役から帰りそのことを聞かされたと….
お時間あれば、一度ご覧ください。今は、アフガニスタンの報道写真展をしています。入館料は250円です。
by orange (2010-08-15 08:41) 

carotte

いろいろ考えてしまいます。
人間の尊厳とはなんだに始まって、最後はパレスチナ問題まで。
ほんとに重たいテーマですが、目を背けるわけにはいかないですね。

by carotte (2010-08-15 12:12) 

orange

carotteさん
「人間の尊厳」ほんとうにこの言葉を思い浮かべますね。
収容所が開放されてからそこで亡くなった方達は、棺に入れられて
埋葬されたとのことです。制度を作るのが上手なドイツ人が、暴走すると取り返しのつかないことさえなし得るということかもしれません。そこから今の徹底した分権制の連邦共和国がつくられました。
東ドイツは、それでも一党独裁、中央集権でしたから暮らしていても「ナチスの陰」を見ている錯覚にさえとらわれることがありました。
by orange (2010-08-15 19:02) 

YUTAじい

こんばんは。

何時も、コメントありがとうございます。

省線ですが72系(設計・製造)は戦前・戦後に製造、このモデルは戦後に新造の車両なので違うのですが。

鉄道省でも国鉄でも問題無いと思われます。(ぶどう色)

三河島の事故で、旧車両は廃棄・鋼鉄製へ。
by YUTAじい (2010-08-15 21:43) 

orange

YUTAじい さん
"省線"の件、ご説明ありがとうございます。
私の祖母(明治生まれ)が、よく"省線"と言っていました。
三河島の大惨事がきっかけで車両が改善されたと、
そのお話、先の尼崎での列車事故の際に聞いた覚えが
あります。参考になりました。ありがとうございます。
by orange (2010-08-15 23:12) 

広島ピアノ

コメント有難うございます。
ピース大阪。
覚えました。実家が大阪(言いましたっけ?)なので、帰省の際は是非行きたいです。
今回頂いたコメント、8末か9頭に同じようなこと書こうと思っていました。議論されないことが多いですが、被害にあった国民も真珠湾前後は戦争参加に積極的だった感がございます。
それを、第三者である、戦争を知らない私たちは、しっかりと検証しなければならないと感じています。
いつも刺激を下さり、有難うございます。
by 広島ピアノ (2010-08-17 19:28) 

orange

こんばんは。
戦争中の民意については、よく議論のあるテーマですね。
でもドイツのSSにしても、東ドイツ時代のシュータージに
しても、そして日本の特高警察にしても、このような組織を
使って人々の行動を監視する仕組みができてしまうと、もう
たいていは反対意見など言えなくなってしまうのが通常です。
なので、それ以前に暴走を食い止める必要があると思います。
by orange (2010-08-17 23:41) 

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