十三大橋 [大阪の橋]
ミゾレが掛からないようにPENを守りながら、土手の上に立つと
昭和 六 年とあります。
確かにこの石積みの色合いには歴史を感じます。
とはいえ、ここは大阪市内と北摂を繋ぐ幹線道路。
淀川の花火大会の時にはきっととんでもない混雑になるのでしょうね。
綺麗なアーチを描いた橋梁。
阪急電車の車窓から見るととてもリズミカルなデザインだと思っていました。
さて、地名の読み方。
赤提灯の時間帯に立ち寄られた方が多いようで
一部の方には(笑)周知の地名だったようですね。
十三→じゅうそうと読みます。
由来は、いろいろあるようですが…
淀川の渡しがいつくかあり、上流から数えて13箇所目の渡しだったので、
「十三の渡し」からじゅうそうとなったとの説が有力
との解説がありました。
さて、寒いので急いで河原を後にして、駅への帰り道
懐かしいなぁ…ってご覧になっていらっしゃる方も数人いらっしゃるでしょうね^^
この「富五郎」というお店。創業 昭和7年 とありました。
次第に暮れ始めた空の下、お務め帰りの方の姿が増え始めた呑み屋横町でした。
そうこの通りはなぜか「鉄腕波平通り」と呼ばれているそうです。
富五郎さんの看板の後ろに波平アトムのキャラクターが見えますね。
これについては、再度探険の必要がありそうです^^...今度は夫と一緒に。
今日も一日お疲れさまでしたぁって呼んでいるみたいですね。
(今回の写真は全てi-Phoneのカメラにて)
昭和 六 年とあります。
確かにこの石積みの色合いには歴史を感じます。
とはいえ、ここは大阪市内と北摂を繋ぐ幹線道路。
淀川の花火大会の時にはきっととんでもない混雑になるのでしょうね。
綺麗なアーチを描いた橋梁。
阪急電車の車窓から見るととてもリズミカルなデザインだと思っていました。
さて、地名の読み方。
赤提灯の時間帯に立ち寄られた方が多いようで
一部の方には(笑)周知の地名だったようですね。
十三→じゅうそうと読みます。
由来は、いろいろあるようですが…
淀川の渡しがいつくかあり、上流から数えて13箇所目の渡しだったので、
「十三の渡し」からじゅうそうとなったとの説が有力
との解説がありました。
さて、寒いので急いで河原を後にして、駅への帰り道
懐かしいなぁ…ってご覧になっていらっしゃる方も数人いらっしゃるでしょうね^^
この「富五郎」というお店。創業 昭和7年 とありました。
次第に暮れ始めた空の下、お務め帰りの方の姿が増え始めた呑み屋横町でした。
そうこの通りはなぜか「鉄腕波平通り」と呼ばれているそうです。
富五郎さんの看板の後ろに波平アトムのキャラクターが見えますね。
これについては、再度探険の必要がありそうです^^...今度は夫と一緒に。
今日も一日お疲れさまでしたぁって呼んでいるみたいですね。
(今回の写真は全てi-Phoneのカメラにて)
四ツ橋 [大阪の橋]
今日は用事で”四ツ橋”あたりへ行くことが決まっていました。
”四ツ橋”という橋があるとお思いですか?
いえいえ…
昔、ここには4つの橋があったことからこの名前が。
今では川もなくなり、記念碑のみが。
先日の繁華街、心斎橋から西へ3ブロックほど歩いたところです。
南北(航空写真の縦方向)に見える通りが四ツ橋筋。
それを横切るのが、先日の心斎橋が架けられていた長堀川(今は埋め立てられ)(です)した。
ということで、今”四ツ橋”の記念碑がある交差点は、このような感じです。
その緑地帯に
「後の月 入て貌よし 星の空」上島鬼貫と
「涼しさに 四ツ橋を四ツ わたりけり」小西来山
と句が、刻まれていました。
ここには昔、4つの橋がロの字に架けられていたとのことです。
上繋橋(かみつなぎばし)、下繋橋(しもつなぎばし)これらは西横堀川に
炭屋橋(すみやばし)、吉野屋橋(よしのやばし)この二つは長堀川に。
西横堀川の橋は、1964年に、長堀川の橋は1970年に撤去されたとのこと。
“大阪万博”を機会に大阪の街が大きく変化した時期だったのでしょうね。
その雰囲気だけを感じさせるモニュメントがありました。
また緑地帯の照明灯の台座には
橋の名前を刻んだ銘板がありました。
”四ツ橋”という橋があるとお思いですか?
いえいえ…
昔、ここには4つの橋があったことからこの名前が。
今では川もなくなり、記念碑のみが。
先日の繁華街、心斎橋から西へ3ブロックほど歩いたところです。
南北(航空写真の縦方向)に見える通りが四ツ橋筋。
それを横切るのが、先日の心斎橋が架けられていた長堀川(今は埋め立てられ)(です)した。
ということで、今”四ツ橋”の記念碑がある交差点は、このような感じです。
その緑地帯に
「後の月 入て貌よし 星の空」上島鬼貫と
「涼しさに 四ツ橋を四ツ わたりけり」小西来山
と句が、刻まれていました。
ここには昔、4つの橋がロの字に架けられていたとのことです。
上繋橋(かみつなぎばし)、下繋橋(しもつなぎばし)これらは西横堀川に
炭屋橋(すみやばし)、吉野屋橋(よしのやばし)この二つは長堀川に。
西横堀川の橋は、1964年に、長堀川の橋は1970年に撤去されたとのこと。
“大阪万博”を機会に大阪の街が大きく変化した時期だったのでしょうね。
その雰囲気だけを感じさせるモニュメントがありました。
また緑地帯の照明灯の台座には
橋の名前を刻んだ銘板がありました。
明治二十一年 天神橋 [大阪の橋]
大阪天満宮の北側に”星合の池”という池があります。
そのほとりにこんなプレートが。
裏側を見ると「明治二十一年」
どうやら橋梁の上に掲げられていた”橋の看板”のようです。
今の天神橋。
大川に掛かるあの綺麗なアーチ型の端です。
この場所に橋が架けられたのは秀吉の頃とか。
難波橋、天神橋、そして天満橋。この3つの橋は1600年代中頃には幹線にかかる橋として
"公儀橋”となり波華の三大橋とよばれたそうです。
木製の橋は、1885年に洪水で流され、1888年に鋼鉄製のトラス型の橋として
架け替えられたそうです。ドイツから輸入されたそうですよ。
1888 - 1886=22... 1868は明治元年ですから、
つまりこの”看板”はその時のもののようですね。
そのほとりにこんなプレートが。
裏側を見ると「明治二十一年」
どうやら橋梁の上に掲げられていた”橋の看板”のようです。
今の天神橋。
大川に掛かるあの綺麗なアーチ型の端です。
この場所に橋が架けられたのは秀吉の頃とか。
難波橋、天神橋、そして天満橋。この3つの橋は1600年代中頃には幹線にかかる橋として
"公儀橋”となり波華の三大橋とよばれたそうです。
木製の橋は、1885年に洪水で流され、1888年に鋼鉄製のトラス型の橋として
架け替えられたそうです。ドイツから輸入されたそうですよ。
1888 - 1886=22... 1868は明治元年ですから、
つまりこの”看板”はその時のもののようですね。
天満橋 ライトアップ [大阪の橋]
今年の目標は…といくつか掲げたものの、
まだ焦点を絞れずにいます。
カメラ散歩の項目を一つ増やした新しいテーマの
”大阪の橋”これは不定期ながら続けられそうです。
(同じ所ばかりに行かないようにします^^?..お気に入りは別として^^笑)
今日の写真は、昨日の夕暮れを写した後の風景で、
ライトアップされた天満橋です。
谷町筋が大川を渡る場所に架けられた橋です。
江戸時代からこの場所には大きな橋が架けられていたようです。
大阪城もすぐ近くですからね。
江戸時代は木造の橋だったようです。洪水で流され明治期になって鉄の橋に変わったそうです。
PEN E-PL2にOM-1用のズームレンズを付けての撮影です。
三脚を持参せず(汗)天満橋の川岸のプロムナードのフェンスに固定して写しました。
流石に寒さと重たさで手ぶれしそうでしたから。
まだ焦点を絞れずにいます。
カメラ散歩の項目を一つ増やした新しいテーマの
”大阪の橋”これは不定期ながら続けられそうです。
(同じ所ばかりに行かないようにします^^?..お気に入りは別として^^笑)
今日の写真は、昨日の夕暮れを写した後の風景で、
ライトアップされた天満橋です。
谷町筋が大川を渡る場所に架けられた橋です。
江戸時代からこの場所には大きな橋が架けられていたようです。
大阪城もすぐ近くですからね。
江戸時代は木造の橋だったようです。洪水で流され明治期になって鉄の橋に変わったそうです。
PEN E-PL2にOM-1用のズームレンズを付けての撮影です。
三脚を持参せず(汗)天満橋の川岸のプロムナードのフェンスに固定して写しました。
流石に寒さと重たさで手ぶれしそうでしたから。
心斎橋 [大阪の橋]
心斎橋と言えば、関西の方なら多くの人が”繁華街””ショッピングゾーン”と
直ぐに思うでしょうね。
”心斎橋”と言うからには”橋”があります。
平日の午前中。11時少し前なので、人通りもまばらです。
休日の賑わう時間ではこんな風景は無理ですね。
orangeも「へぇ…橋が本当にあるんですねぇ」と改めて確認しました。
頻繁にここを通っていたのに…
その昔、ここには長堀川という川が流れていたようですが、
昭和39年に埋め立てれたそうです。
これは明治期の橋の形に基づいて復元されたデザインらしいです。
歩道脇にはこんなプレートが。
左から江戸時代、明治初期、明治後期。
現在復元された橋は、この下に”クリスタ長堀”という地下街が出来た時だそうです。
ガス灯も復元されています。その台座には
この石橋の石材の産地も書かれています。
伊豫の国と見えます。(向かって左側に微かに)
でもこの横に今では
街の風景も時につれ…時代につれ…ですね。
カメラ散歩。大阪の部に”大阪の橋”という項目を増やしてみました。
いくつ見られるか…わかりませんが。時間があればボチボチと。
直ぐに思うでしょうね。
”心斎橋”と言うからには”橋”があります。
平日の午前中。11時少し前なので、人通りもまばらです。
休日の賑わう時間ではこんな風景は無理ですね。
orangeも「へぇ…橋が本当にあるんですねぇ」と改めて確認しました。
頻繁にここを通っていたのに…
その昔、ここには長堀川という川が流れていたようですが、
昭和39年に埋め立てれたそうです。
これは明治期の橋の形に基づいて復元されたデザインらしいです。
歩道脇にはこんなプレートが。
左から江戸時代、明治初期、明治後期。
現在復元された橋は、この下に”クリスタ長堀”という地下街が出来た時だそうです。
ガス灯も復元されています。その台座には
この石橋の石材の産地も書かれています。
伊豫の国と見えます。(向かって左側に微かに)
でもこの横に今では
街の風景も時につれ…時代につれ…ですね。
カメラ散歩。大阪の部に”大阪の橋”という項目を増やしてみました。
いくつ見られるか…わかりませんが。時間があればボチボチと。